生まれなかった都市

観測日記とメニュー

ザ・マミィ、戦争、砂粒、判断停止

・ザ・マミィがKOC決勝でやった障がい者いじりのコントは今思い出してもはらわたが煮えくり返る。思うに、「人を傷つけない笑い」という言葉が悪なのは、ある笑いを「人を傷つけない」ものとして固定してしまうことで、観客の思考停止を誘発するからだ。あらゆる笑いは人を傷つける危険をはらんでおり、それに気づかないからこそ笑いをめぐる問題は難しいのであって、これは絶対に大丈夫です、という品質保証付きの笑いは存在しない。そういうお墨付きが欲しいからこそ、こういう名づけが流行るのだろうが、観客は自分が面白いと思ったものを笑う勇気を持つべきだと思う。そしてそれが人を傷つけたなら、笑うのをやめればいいのである。その繰り返ししかない。これは人を傷つけないから大丈夫、と思ってしまったら、こうしたことに気づき反省する機会は失われてしまうだろう。

KOCのザ・マミィが醜悪だったのは、本来いじってはいけない(ようにおれには見える)存在に対して、明らかに意図的な産地偽装をやってのけたからだ。駅で大声を出しているおじさんがいるとしたら、彼らは基本的に精神疾患を抱いており、保護・福祉の対象であると考えてよい。そういう人を笑うことは避けた方が良い。

ちなみに有名な話だが、刑務所に入っている人間はかなりの率で精神的な障害を抱えており、自分一人では生きていけないタイプの人間であることが多い。酒井のキャラはこうした層に近かっただろう。あのネタは、それっぽく歌を歌ったり、酒井の「笑えるクズ」キャラでリアルな笑えなさを中和したりすることで、なんとか安心安全な雰囲気を作っていたが、正直本当に最悪な気分になって途中で見るのをやめた。

あれを笑う人が差別主義者で悪人だとはまったく思わないが、これは大丈夫なやつか?という疑問が生まれないのであれば、「第七世代」的な笑いに感性を殺されているということにはなる。それも罪はないのだが。

 

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フランス語の『逃走する』には『漏れる』という意味も含まれています。どんなに厳密に見えるシステムがあったとしても、実際にはそこからどんどん漏れていくものがある。漏れた先には水たまりができ、そこに新しい生態系が出来ることもあるのです

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これを読んで思い出したのは、修士論文を書く時に出会った内村剛介の文章だ。1968年、チェコ民主化運動をめぐる一節は、日本の新左翼をしびれさせた。共産党支配下にあったチェコスロバキアは、当然ソ連の言いなりになっていたわけだが、第一書記が交代すると、表現・集会・政治経済をめぐる抑圧が一気にゆるみ、人々は民主主義を謳歌した。この状況を憂慮したソ連チェコに軍事介入をし、夢ははかなくついえた。

完全武装した反動巨人に歯向かいうるのは、弁証法的反語を用いて言えば、組織を抜き出た個人ひとりひとりであるだろう。それだけが、いわばキャタピラに押えられてもつぶれない砂のように、よってたかって反動の巨体をとり押えるだろう。キャタピラが奔命に疲れ切ったときに。チェコ下放送の出現はすでにそれを暗示している。

当然「反動巨人」はソ連、「砂」はチェコの市民を指すわけだが、今となっては「反動巨人」をロシア、「砂」をウクライナの市民に読みかえざるをえない。

強権的な政府が暴力を用いて国民を抑圧しようとするとき、ひとりひとりができることは限られている。こういった大きな動きの前に、個人はなすすべもない。しかし、巨人が疲弊した時、彼を押さえるのも砂である、というのも真実であり、一つ一つの砂粒が集まった時、いつの間にか「新しい生態系」が生まれる土壌になっているかもしれない。人間を信じるしか、できることはない。

 

・こういうことがあってもロシア系の民家や教会、商店が攻撃を受けないのが日本のいいところ、みたいなことを言ってる人がいたが、正直今後一番同じような動きをするリスクがあるのは中国で、中国が同様の動きに何らかのタイミングで出たとき、日本国内で中華系の民家・商店が攻撃を受けない保証はないし、おそらく攻撃を受けてしまうだろう(ウトロですら燃やされたのだ)。ありうる未来を考え、とにかく落ち込む週末になりそうだ。

 

・これを機に改憲、のような動きには断固反対したい。正直安全保障をめぐる問題はよく分からないことが多いものの、自衛隊をさらに強化したり、憲法でその存在を認めたりすることは国庫への甚大な負担になるだけでなく、東アジアのパワーバランスの変更にもかかわってくるため、気軽に触れられる領域の問題ではないということは分かる。というか今の日本は他にいろいろやる事があって忙しいので、そうした問題の政治的な優先順位はかなり低いところにあるはずだ。

そもそも資源も人材もない日本に軍隊があったところで、安全保障上の問題は何ら解決しないだろう。それらの問題については、落ち着いてから考えればよい。今の時点では判断を保留しておくことが、賢い人間の振る舞いであると思う。