生まれなかった都市

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やめてしまえ!(男の子のお説教タイム2)

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M-13回戦で中国をいじったコンビがいて、それがけっこう炎上しているらしい。そういうものをもう見たくないので、動画は見ずに文字起こしだけ読んで、これは許されないラインだと感じた。ただ、これを差別と呼ぶかどうかには争いがある。

 

お笑いに対して「差別」という言葉を使うことには可能なかぎり慎重であるべきである。第一の理由として、過剰な委縮効果をもたらすというのがある。明確な人種差別ボケから、ちょっとしたマイクロアグレッションに近いツッコミまで、「差別」の一言でまるっと括れてしまう上、はっきりとした線引きと、ひどさの程度にあてがうべき明確な尺度がないので、批判がエスカレートしやすく、意識しだすと無限に意識できてしまい、過剰防衛を招く可能性が高い。線引き論はTwitterでは不評だが、これはもう絶対大丈夫、という確信が持てないのが差別の怖いところで、もしその線引きがきれいにできる、確実に安全なものがある、「他人の気持ちを考える」ことであまねく回避可能と思っている人がいるとしたら、ひどい思い上がりである。

 

もうひとつの理由は、「差別」という概念をお笑いに当てはめることが、無駄な議論を招くことがあるからだ。あるボケが人種差別的だとして、被害者が誰かというのは必ずしも明快に答えられる問いではない(いないとは断言していない、念のため)。それを見ている客が傷つく、というのは一つの回答としてあるが、かといって、では誰も見ていなければ差別ではないのか、客席にその差別のターゲットとなる属性を持っている人がいなければ差別ではないのか、と問われると、明確に答えることは難しくなる。私たちは、人種差別的なお笑いを見たときに、必ずしもその観客の属性を考えてから、それが差別かどうかを判断しているわけではないからだ。「差別」という言葉を批評に放り込むと、こうした問いに対して逐一突き詰めて考えなければいけなくなり、これはあまり生産的と思えない。また、風刺との線引きも考える必要がある(たとえば、現行の中国の政治体制や政策に問題があるのは確かで、それを批判するのは誤った行為ではない。)

 

(差別的なお笑いのネタが罪深いとすれば、それは何よりもやっている側を狂わせるからだ。ダブル_ッキングの川_とか元巨_の人とか、完全に狂ってしまっているではないか。ちょっとしたアグレッションでウケという報酬がもらえるというのが、どれだけ人を過激にさせるか。)

 

許されないかどうかの線引きをするなら、その笑いが憎悪を増幅するかどうか(差別は揶揄・からかいをまずは惹起するが、それを第一の基準に持ってこないことにここでの議論の重点がある)だろう。まず、笑いから揶揄・からかいの要素を完全に取り除くことは非常に難しい(私見なので補強が必要だが、あえて深くはふれない)。ただ、憎悪を笑いから取り除くことは簡単にできる。また、憎悪は直接的に暴力に結び付きやすいが、揶揄・からかいはそうではない。さらに、揶揄・からかいは比較的容易に収まることのある感情だが(前はおかまを面白いと思っていたが、今は思えない、というのは一般的な感覚だろう)、憎悪はそうではない。以上から、憎悪を煽ることの方が、揶揄・からかいの気持ちを惹起するよりも、悪さが強いと言える(あのネタが問題なのは、あからさまに憎悪の方向を中国に誘導しているからだ。一方、ザ・マミィの障がい者いじりのコントは、醜悪で無知はあるが、許されないレベルではない)。

 

もう一つ付け加えると、舞台上で笑いをとることが悪につながるとすれば、それは「この人たちのこと・この出来事のことは公に笑ってもよい/憎んでもよい」というメッセージになるという点が大きい(沈黙の螺旋理論)。すなわち、それを笑うこと自体が問題なのではなく、笑うことが許されている、笑うことが認められているという感覚が問題なのである。そしてそれも、揶揄・からかいよりも憎悪の方が、社会的にもたらす害悪が明らかに大きい。その点において、今話題になっている漫才は許すことができない。(揶揄・からかいを惹起する笑いが許されるとは言っておらず、あえて線引きをするなら、相対的にマシなのはどちらか、という話。)

 

ここからは単なる悪口だが、ああいう大学1年生みたいなネタが受け入れられるのはどういうことなんだ。偏見や外国いじりって、本当に誰でもできる。何か見るべきものがあるとすれば「舞台慣れ」の一要素だけで、結局芸歴とか、「ネタを磨く」とかって、単なる「舞台慣れ」のことなのではないか。アマチュアM-1準々決勝に上がったり、学生がKOC準決勝に上がってるのって、アマチュアや学生のレベルが高いんじゃなくて、単に「プロ」のレベルが低いという話であると思う。その程度の大会ということだ。プロの側も、特に何も磨いておらず、単に「舞台慣れ」度合いだけが上がり、「見やすさ」の一本槍で戦ってるだけなんじゃないのか??

 

おれにはギゾゾというコンビがあって、ゆっくり大きい声で偏見とかひどいことを言う、みたいなネタなんですが、それも最近は本当にほとんどやらない、やる機会があっても基本断るようにしていて、それはなんでかと言うと、今言ったみたいに、マジで誰でもできることだからである。「ゆっくりしゃべる」「偏見や過激な発言をする」この二つのカードは切るのがあまりにも簡単で、素人が一番手を出しやすい要素でもある。とくに「ゆっくりしゃべる」は、夕げぐらいセンスとオーラと間合い(と舞台慣れ)がないとしっかり成立しない、単なる痛々しい人たちになってしまう。誰でもできるようなものを見るんだったらわざわざ学生お笑いも社会人お笑いも、素人のお笑いなんて見に行かない。学生の頃に大学の食堂で、隣に座った運動部の人たちが新歓用の漫才の練習をしていて、それが「天皇制が~」「いや新入生の前で思想強すぎww」みたいなやりとりで、おれは本当にうんざりしたんだ。濃縮して書いてますけど、ほとんどこのレベルのお笑いの人はわんさかいる。

 

パヌーのお笑いはどこでも見たことないものです。ライブに来てください!!!舞台慣れも、これからします!!!!

 

パヌー・月面歩行 企画ライブ「すごくいい」

11/25 中野シアターかざあな

開場18:20 開演18:30 終演20:15予定

入場無料 カンパ制