生まれなかった都市

観測日記とメニュー

20220210-13

20220120

仕事。

帰って来たのも遅かったので琅邪榜流しっぱなしにする。登場人物の表情があまり動かないので、日本のドラマと違って共感性羞恥が反応しない。韓国宮廷ドラマよりコテコテじゃないのもいい。キャラも立ってる。ニュースとか読んだり、だらだらする。

ウエラン井口が佐久間のyoutubeに出てるのを見る。くだらなくて面白い。

ティン・パン・アレーいしだあゆみ「アワー・コネクション」素晴らしい。冒頭のギターだけで名曲とわかる。こうやってジジイになっていくんだろう。。。

 

20220211

10時起床。二日酔いで頭痛がすると思ったが、多分肩こり。寝ながら仕事について考えていたらミスを思い出したので、起き抜けに着替えてすぐ会社に。

ミスを修正して、そのまま歩いて八事のそば屋に行く。狭いカウンターにキチキチになって食べる。入口すぐにストーブがあってちょっと暑い。

天丼セットにしたが、名古屋の天つゆが甘いのを忘れていて、吐きそうになる。隣の席の人はとろろご飯とセットにしていた。次はそうしよう。牡蠣のそば粉焼きや白魚の天ぷらもうまそうだった。

すこしぶらぶらしてたらやっぱりひどく頭が痛くなったので、いったん帰って風呂をためる。自宅の風呂に入るのは一人暮らしを始めてから初めて。狭いが、思ったより体が動くようになるし、東京と違って銭湯も遠いので、けっこういいかもしれない。洗濯して待ち時間にちょっと仕事する。風呂の水を洗濯に使うホースを今度買う。

洗濯してから『テトラローグ』読み切る。やっぱり戯曲・対談形式の文章が哲学への「入門」に最適であったり簡単であったりするとは思えない。むしろ何が論点になっていて、どこで話題が変わるのか全く分からないので結構きつい。ただ、読み物としては面白かった。「タルスキー」と「タルスキ」に表記ゆれあり。

一番よかったのは相対主義批判で、これは忘れないうちにちょっとまとめておく。

相対主義」といっても強いものと弱いものがある。もっとも強いものは「ある主張が真であるか偽であるかは決定不能であり、そのような議論は調停不可能な対立を呼ぶだけなので、われわれは「真偽」のような概念を使うべきではない」という立場である。たとえば、「コロナは危険な病気である、というのは本当か?」という問いへの答えは人によって異なる。こうした相違は対立を呼ぶのだから、われわれはそうしたことについて真偽の判断を下すべきではない、という意見がこれにあたる。

ただこの立場はかなり擁護が難しい。なぜなら、「コロナは危険な病気である、という主張は真実である」という主張は、「コロナは危険な病気である」という主張と、ほとんど変わらないからだ。

主張の真偽は事実との対応で決まる。そして、われわれは通常事実に即したことを言う方が、事実に即していないことを言うより良いと考えており、この規範に従って、事実に即したことを言うことが多い。だとしたら、「コロナは危険な病気である」という主張がなされる場合、それは「コロナは危険な病気である、というのは真実である」という主張を短くしたにすぎないことになる。

であれば、われわれの主張に「真偽」という言葉が使われていなくても、対立を呼ぶ意見の相違は生じることになる。もし根本的な意味で「真偽」の概念を捨てた場合、われわれのあらゆる主張は完全にランダムなものになることになる(「目の前にりんごがある」と発言した人が、「目の前にりんごがある」(真)とも「目の前にりんごがない」(偽)とも思っていないとしたら、そうした人は他人と対話ができないだろう)。真偽という概念を捨てることは非常に難しい。

では今度は相対主義を一段階弱めて、「ある主張を真と考える者は、その主張を偽と考える者に対して寛容になるべきだ/主張を押し付けるべきではない」(以下、このテーゼをRとおく)という立場を想定してみる。これが普通の人が考える、いわゆる「相対主義」に最も近いだろう。

ただこの立場も難を抱えている。なぜなら、この「相対主義」の立場を貫徹するなら、Rという主張の正しさを主張することはできなくなるからだ。「寛容になるべきだ」というのは道徳的態度に関する立派な主張であり、この主張に対して相対主義を適用する場合、「Rを真と考える者は、Rを偽と考える者に対して寛容となるべきだ/主張を押し付けるべきではない」という立場が生まれることになる(いわば、RにRを「代入」しているわけだ)。

理屈上、この代入は何度でもできる。しかし、この代入に何か生産的な意味があるだろうか?また、そもそも「寛容になるべきだ」という価値判断を他者に「押し付け」ないとしたら、この立場の存在意義はなんだろうか?

であればさらに相対主義を弱めて、「ある主張を真と考える者も、偽と考える者もいる」という立場にしてみよう。ここまで来ると、もはや立場とは呼べない。なぜなら、「コロナは危険な病気ではない」と断言する者(明らかな絶対主義者)ですら、この立場には同意できるからだ。

おわり。

 

読み終えて、そのまま星が丘のとんかつマメゾンへ。すいてる時間だったのでよかった。やはりうまい。福田和也がとんかつについて悲しい文章を書いてたが、あれ読まないと。

 

そのまま歩いて図書館。『中央公論』3月号。urbanseaの記事よくまとまってる。増田さん頑張ってほしい。飯田泰之の文章も面白い。井上正也もなんか書いてた。阿部彩と森雅子の対談、なんかぬるかった。『貧困を救えない国・日本』の時は阿部と鈴木の立場の違いが面白かったような気がするが、今回の対談は自民党太鼓持ち感がかなりあってうーんという感じ。あと家庭に対する捉え方の偏りもあるだろう。

新書大賞の記事読む。小島『サラ金の歴史』がぶっちぎり一位なのは納得。というか、今年度に限らず、過去の新書の中でもトップクラスに面白く、力強い作品だったと思う。サラ金の源流が、普通に働きながら小金を貯めて、友人・親類や同僚に高利で金を貸す「素人高利貸」にあったという話は面白かった。また、サラ金への批判が民族・職業差別とつながっているのではないかという指摘も興味深く読んだ。著者は経セミの対談でも、定量的な経済史研究の歴史叙述が持つ危うさについて喋っていたが、そういう問題意識がある人なんだろう。

ざっと見た感じ『氏名の誕生』『労働組合とは何か』『防大女子』あたりが面白そう。少し意外なランクイン作品もあった。にしてもハンセン『スマホ脳』も斉藤『人新世』もランクインしてないのか。『ゲンロン戦記』評に「東は言論界の渋谷陽一になるんじゃないか」とか書かれてたがそれでいいのか。斎藤浩平?が『デジタル・ファシズム』を推してて少しびっくり。ざっと見ただけなので見間違いかも。NHK出版なのね。

他の雑誌もざっと目を通して帰る。

酒飲みながら谷口隆『子どもの算数、なんでそうなる?』最高。小学生にデシリットルを教える意義や、掛け算の順序と日本語の文法の関係など、面白い論点満載の上、挿絵がかわいい。

Weyes Blood流す。Andromedaいい曲だな。こんだけやって下品にならないのだからすごいセンス。カサノヴァ『近代世界の公共宗教』冒頭。面白くはないが勉強になる。果して読み切れるだろうか…

琅邪榜、飛流がかわいい。

20220212

起きてすぐ風呂貯めて入る。天気よすぎ。16時とかまで用事。

 

ずっと頭が痛いので試しにマッサージに行ってみる。熊本出身の女性が一人でやってる店だった。かなりえぐいひねりを体中に加えられて頭がぼーっとした。ただ、頭痛は完全に改善した。施術中、小声で「凝ってんな…」「かったい…」とか言われるので不安になる。運動しよう。

普通だったら飲みに行くがいくらなんでも、、という状況なので帰る。自分は若いし、コロナをそこまで恐れてない方の人間だと思うが、今の雰囲気はそれでも少し怖くなるぐらいの感じだと思う。

琅邪榜。急に新キャラが出てくるな。カサノヴァ『近代世界の公共宗教』2章ぐらいまで。やっぱり面白くないが、問題意識はよく分かった。広瀬『ちいさい言語学者の冒険』濁音のルールなどについてひざを打つ。松本『世界一やさしい依存症入門』面白い。そういえば瀧波ユカリってどうしてるのかなと思って調べて、マンガ読む。

20220213

起きてすぐ風呂入る。散歩がてら平和公園の池を見に行く。浚渫工事中なので面白くもなんともない。すぐ引き返す。

玉木『金融化の世界史』面白かった。工業化するほど広くもないし、かといって昔ほど砂糖も売れなくなった旧・現イギリス領のカリブ海の島(元植民地)がタックスヘイブン化するというのはヘーと思った。ただちょっと金融disが強いかも。『現代エリートの平等観』翻訳みたいな本だった。