生まれなかった都市

観測日記とメニュー

最近読んだ本(『カレー移民の謎』『フッサール 志向性の哲学』など)

全ての本を最初から最後まで読んでいるわけではなく、今後読み進めるもの、もう読み進めることはないものも含む。あと、だいぶ前に読んだものもあるので、間違っていたら教えてください。

 

室橋裕和『カレー移民の謎ーー日本を制覇する「インネパ」』 (集英社新書)

www.kinokuniya.co.jp

 

面白すぎて一気に読み切った。「カレー移民」というタイトルのおかげでイメージがしっかりつくが、つまるところネパール人移民が主なテーマであり、ただしゼロ年代以降の「インネパ」の爆発的普及、その前史も含むので、部分的にはインド人移民史でもある。でかいナンにタンドリーチキンっていうスタイルの源流はムグライ料理って言うんですね~。

読売の書評で清水唯一郎が「逞しさより堅実さ」を感じると書いているが、ネパール人たちの、失敗への恐れに裏付けられた出店戦略やメニュー作成、同胞間の食い合いや地元の話などを読むと、どこか軽率さも感じる。文体は軽く、読みやすい。

 

また、インド系とネパール系のコックをカーストの有無で比較するパートとか、学者だったら(伝聞とはいえ)こんな適当なこと書けないかも、という部分もあり、この歯切れの良さは新書としてたいへん好ましい。学者が新書のくせに身内の評価を気にして過剰に防御的なことばかり書いたり、誰それの研究では〜みたいな、一般の読者にとってどうでもいいことでグダグダこだわっているのを読むとうんざりしちゃうのだが、そういうのがなくて、まあ潔くて良い。あとタンドール釜の都市伝説はけっこう本気で信じていたので、大枠は嘘だとわかってよかった。

 

その一方、カレー移民二世の教育問題、小5そこらで日本にいる家族のもとにやってきたせいで、ネパール語の習得も日本への適応も上手くいかなかった子供とか、自分ではどうしようもない事情でビザが更新されず、日本語ペラペラなのにネパールに帰った青年とかの話を聞くとけっこうウッとなる。つらくて途中読むのを中断する時間もあった。

 

安田峰俊の在日ベトナム人不良の本もそうだけど、こういう問題は、知れば知るほど勢いのいいこと(日本の移民政策への批判とか、そういういろいろ)が言えなくなるという事情がある。移民の連れ子への小学校の対応の不備とか、責めようと思ったら責められるのだが、そうはいっても現実的に難しいところはあるし、移民受け入れ・統合の問題は、日本人が日本をどうしたいのか、という根本の国家観・方針に左右されざるをえないところでもあり、明らかに過剰な暴力的措置(入管とかね)が論外なのは当然だが、まあ、いろんな事情があるのである。ネパール人同士の搾取関係についても、一概に悪いとは言えないという態度をとっており、その辺りも、誠実さを感じられて良かった。

 

富山豊『フッサール 志向性の哲学』(青土社

www.kinokuniya.co.jp

内容は極めて明晰で、すごく面白かったし、筆者の書く通り、志向性についてまさに「語り尽くした」という感じで、今後数十年読み続けられる本になるだろう。ただ、安すぎるので品切重版未定になるかもしれなくて怖い、、いや電子があんのか。

 

でも、アマゾンレビューに「非常に冗長で何が言いたいのかよく分からなかった。」とあり、はあ?と思ったが、読み進めるにつれ、これは理由のないことではないなと気付いた。なんなら正当なクレームですらある。

 

まず、とにかく具体例が多い。私は研究者ではないし、哲学の本もそうそう読まないが、それでも、分かりやすさの点で邪魔になるぐらい多いと思ったのだから相当多いんじゃないか。

あと、( )が長すぎる。たとえば102頁など。130-131頁は以下みたいな感じである。非常に長い引用なのでタイポはすみません。

 

たとえば、前段落で例にとった グー>チョキ>パー>グー の三すくみ構造(この関係は推移性を満たさない、つまりパーより強いチョキよりさらに強いはずのグーが、だからと言ってパーより強いということにはならないという意味で、通常の大小関係・順序関係とは異なっている。それゆえ不等号を用いるのは誤解を招く可能性があるが、じゃんけんの構造は読者にも周知であり誤解の可能性は少ないと判断し、便宜上不等号を用いている)は、グーをチョキに、チョキをパーに、パーをグーに移しても強弱の関係が保存される。つまり、グーをチョキに、チョキをパーに、パーをグーに移す写像(一般に「関数」と同じ意味で用いられ、数から数への関数とは限らない、さまざまな数学的対象のあいだの対応関係を表す場合に特に用いられる。言語表現も真理値も(少なくとも数量という意味での)数ではないと考えると、先に議論した言語表現に意味論的値を対応させる関数Dは「写像」と呼んでもよかったわけである……【3行程度中略】……のことを指している)をhとすると……

 

こういうのが時々、というか気になるぐらい出てくる。こんなの誰が読めるの? ある程度読み慣れてる人であれば、こういう( )の中は軽く読んで大丈夫、という癖がついてるので、すすすっと進めるんだが、素人であればあるほどこういうのをベタにしっかり読んでしまい、カッコの終わりで結局「あれ、なんだっけ?」ってなって冒頭に戻り、文脈を見失ってしまうんである。れっきとした悪文である。

というか、こんな内容普通だったら注におろせばいいのに、注をつけないという選択をしたんだったら、もう書くべきではない。それにこれって、揚げ足取りや専門バカからの批判に対する単なるエクスキューズも多く、たいていの読者にとって基本的にどうでもいいことが少なくない。もし本当にこういう内容を入れておきたいなら、章の冒頭に入れるか、付論で断るようにしてください。具体例をたくさん挙げれば、そしてたくさん説明すれば、必ず素人フレンドリーになるというわけではないという良い見本である。

 

あと、「超越論的存在論についてこんな雑なことを言ったらカントの研究者に怒られるかもだけど、、」みたいな専門家向けの留保も、自分のために書いてるだけで、広い読者のためになっていない。まったくの初心者に読んでほしかったとは書いてあるものの、結局誰を念頭に置いて書いてるのか、最後までよくわからなかった。

 

あと青土社の水戸部デザイン哲学書はシリーズものでもないのにこのスタイルで統一するのはいい加減にしてください。

 

 

犬塚元・河野有理・森川輝一『政治学入門——歴史と思想から学ぶ』(有斐閣ストゥディア)

www.kinokuniya.co.jp

すごい面白い。読みやすいし。でもおすすめ映画コーナーはいらないかも。授業で使うとか、レポート課題に組み込むとかならいいのかな。

 

いろいろいいところはあるが、教科書の最初が国会議員の仕事の説明(収入とかスケジュールとか)から始まるのがよかった。高校生が小論文で政治について語るようなノリ、基礎的な知識のない子供にいきなり妙に大きい話をする・させるようなノリをいったん粉砕するには、こういう入りがいいのかもしれない。

 

小谷野敦『頭の悪い日本語』『帰ってきたもてない男——女性嫌悪をこえて』(ちくま新書

たぶん紙は品切れなのでU-NEXTでたまってたポイントで読んだ。やっぱ面白いな~。でも、芸能人が「おはようございます」をあいさつとして使う理由、これは本当だろうか。

 

田原史起『中国農村の現在——「14億分の10億」のリアル』(中公新書

www.kinokuniya.co.jp

 

おもろすぎる。。。もっと長く読みたかったかもしれない。個人的には、県城的ライフスタイルと、農村のリーダー選挙の茶番感がよかった。これが新書大賞です!!

 

ウィリアム・エンプソン(岩崎宗治訳)『曖昧の7つの型』(水声社

www.kinokuniya.co.jp

むずい。

 

エマニュエル・ドロア(剣持久木訳・川喜田敦子解説)『デミーンの自殺者たち: 独ソ戦末期にドイツ北部の町で起きた悲劇』(人文書院

www.kinokuniya.co.jp

 

けっこういい。ドイツ北部の町で起こった集団自殺がテーマで、ロシア人の民族性とかに答えを求めるのではなくて、実際の経験や出来事、ミクロの次元に照準を合わせて考えてみると、閉鎖された環境、兵士たちの極度の緊張、アルコールによる弛緩などが理由としては大きそうだよね、みたいな話である。最初の方の章で結論が出ていて、それ以降を読み進めてもそれ以上の主張はないのだが、証言や日記の引用の細かいところがいろいろ面白かった。翻訳もすごくちゃんとしている。

 

眠すぎるので以上。以下メモ

 

 

中西嘉宏『ミャンマー現代史』(岩波新書)

 

萬代 悠『三井大坂両替店-銀行業の先駆け、その技術と挑戦 』(中公新書

 

保阪正康『戦場体験者 沈黙の記録』(ちくま文庫

 

今和次郎『ジャンパー着続け40年』(ちくま文庫

 

三浦展・陣内秀則『中央線がなかったら』(ちくま文庫

 

マイケル・サンデル(林芳紀・伊吹友秀)『完全な人間を目指さなくてもよい理由 遺伝子操作とエンハンスメントの倫理』(ナカニシヤ出版)

 

井奥陽子『近代美学入門』(ちくま新書